June 15, 2005

立山黒部アルペンルートツアーその3 長野新幹線乗車インプレッション

6fff6452.JPG 大宮駅の新幹線ホーム。この時間になると、出張や出勤、そう、最近は新幹線で通勤や通学する人って凄く多いらしく、高い定期代を払ってまで(企業からは補助は出てるんだろうけど)通うそうだ。6:48頃、駅のアナウンスであさま501号長野行きが入線することが告げられ、まもなくE2系のあさま(N1)がやってきた。JR東海の700系やJR西日本の500系程の華麗さはない。しかし、程よい流線型で華麗さよりも内なる強さを感じさせるボディだ。東海道新幹線のような長大な16両編成ではなく需要にあわせたコンパクトな8両編成のN編成と呼ばれる車両(東北新幹線仕様J編成の0番台、1000番台は10両編成)だ。長野新幹線は当初は北陸新幹線の名で建設が始まったが、とりあえずは長野までの開業となり、長野(行)新幹線となった。開業は1997年10月1日。翌年の長野五輪開催による輸送力強化と、信州から首都圏へのアクセスを早める効果を狙った。そのかわり、信越本線の名物、碓氷峠越えは見られなくなった。しかし、峠の釜飯は現在も売れ筋商品となっている。
 6:50、大宮を出発。発車直後に気付いたことは加速の速さだった。東海道慣れしている筆者からすれば凄くトルクフルな加速だ。山岳仕様の新幹線の実力をいきなり見せ付けられた。熊谷、本庄早稲田を時速240kmで通過してあっという間に高崎だ。私が乗ったのは先頭8号車。唯一の普通車指定席。6〜1号車は自由席設定だ。8号車は乗車も少なく、結局終点まで隣に座る人はいなかった。高崎では隣の番線で東京行きのMAXが停車していた。自由席はサラリーマンで満席で指定に乗る人は少なかった。高崎を出るとあさまは6kmあたりで上越新幹線と分岐していよいよ難所と言われる碓氷越えを敢行する。ここから時速260km運転が始まり、E2系長野スペシャルの真の実力を炸裂させるのだ。安中榛名駅をいつのまにか通過。で、実は東北・上越は50Hzの周波数であり、東海道・山陽は60Hz。じゃあ長野は?となると群馬県と長野県は丁度周波数の違うエリアであり、長野新幹線は当然2つの周波数が存在する。東海道は東京まで60Hzで建設された。よってE2長野スペシャルは両周波数対応(長野五輪で臨時運用された200系も両周波数対応に改造)している。すなわち日本の新幹線で唯一、全国どこの新幹線でも走れる車両だ。もともと北陸新幹線として造られたのであるから将来的には必要なスペックだ。
 いつの間にか違う周波数になっていた?と思う内に最高30‰が約30kmも続く急勾配エリアを走破開始!碓氷峠までの高低差は約850m!この心臓破りの坂を時速260km近くを維持したままでグングン上ってく。正直、立たない限りはこれが急勾配であることが分からないくらいに自然に走っている。3つほど長いトンネルを潜り、軽井沢(7:33)に到着。駅前はスキー場をはじめとしたプリンスホテルだらけ。しかしホームには自由席を中心にサラリーマンたちが行列を作って待っていた。8号車は殆ど閑古鳥みたいなもの・・。
 このあさまは軽井沢から長野まで各駅停車になる。それでも(8:04)には終点長野に到着するのだから・・・。佐久平、上田と来たがここまでこの新幹線はトンネルばかりを潜っていて風光明媚な景色は殆ど楽しめない。それにしても段々通勤客が増えてきた。上田を出ていよいよ15.8kmの五里が峰TNを通過する。長野新幹線最長のTNだ。軽井沢からは緩やかに下ってきたので新幹線は通常よりも容量の大きい発電ブレーキを駆使しつつもかっ飛ばしながらここまできた。パワフルで足腰の強いE2系長野スペシャルだからこそ成しえる技だ。このトンネルを抜ければあとは千曲川を渡り、広大な長野盆地を見ながら、終点を待つ。いよいよ来たんだと実感する。同時に長野は何と近いのだろうと・・・。
 8:04、定刻どおりに長野に到着。この先は9km先に長野車両基地がある。また現在、飯山以北で工事をしている。長野を降りたときは本当に良い天気。記念に写真を何枚か撮影をして改札口に向かった。次は扇沢行きのバスに乗る。

hrkzty1526bwv1068 at 23:58│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
Archives

Recent Comments