June 06, 2005

つかの間の休日

 昨日、土曜出勤で休日が1日。連休慣れしている僕には短い・・・。でも中身の濃い過ごし方をすればいいのだ・・・。でも昼まで寝てしまい、定期券を買うのに柏や松戸に出かけたらあっという間に夜になった。遅い晩御飯を食べながら「シルミド」を見て涙した。韓国でも問題作になったあの「シルミド」だ。事件自体は1971年。僕の生誕の1年前だ。こんな事件があったなど、つい最近まで知らなかったし、韓国国民だって同じだろう。国家が必死で隠し通したのだから。韓国がなぜこの部隊を今まで極秘にしてきたのか?それは僕も勉強不足なので敢えて語ろうとは思わない。北朝鮮の当時の金日成を暗殺するために「シルミド」に送り込まれ、地獄のような訓練を受けて、作戦遂行を開始したときに国家から中止命令が出て、しかも後日、その部隊を作れといった国家がその訓練生達を抹殺しろと命令し、教官たちと銃撃戦の末、1971年8月23日、バスを乗っ取り大統領官邸に向かう途中、韓国正規軍と警察の包囲を受けてバスの中で手榴弾を爆発させて自決した。あのシーンまでの10分は涙なしでは見られない。特に、訓練兵抹殺の前日に出張していた教官がテハン洞ユハン洋行前の包囲現場で約束した飴をもってジープで駆けつけたシーンもグッと来た。鬼の教官たちとは訓練を通じて交流もできてきたのに、まさか殺しあわなきゃならないと思うと、一体誰が悪いのか?それが分からなくなる。いざ出陣究極の部隊にそれにしても韓国の戦争映画はこうも人間の心の奥に訴えかけるものなのかと。「シュリ」「JSA」もそうだが、リアルな銃撃シーンで銃弾で流血して死んで行く兵士のありのままを包み隠さず表現し、その中での敵味方、そしてそれぞれの人間味をこれまた包み隠さず描写している。ストーリーがすごくいい!
 今日本では機動戦士Zガンダムが上映されている。ファーストを見た時、連邦が善でジオンは悪として描写され、Zではその連邦の中のティターンズがコロニーを毒ガスで市民を虐殺したり地球圏でも悪の限りを尽くす。そしてそれに反発した宇宙移民達がエウーゴを結成して対抗する。ファーストとは全く逆の展開。しかもさらにアクシスやネオジオンも絡み、もう善悪の区別が分からない。しかし、それぞれの側ににドラマがあり、またどちらも信念を持って戦う人たちが存在している。戦争映画は戦争の悲惨さを善と悪に人を分けて描写してきたが、今は、敵も見方もそれぞれ信念を持って戦い、そして愛する人や家族を持つという事実。死ねば、遺された人は必ず悲しむのだという現実を通じて、戦争の愚かさを描写している。
 今、ブログ書いていて思う。愛するものの為に死ねるのか?と。人は危険を顧みず、駄目だと分かっていても行動しなければならない時がある。死ぬと分かっていても、負けると分かっていても戦わなければならない時がある。松本零士のマンガでよく語られる一言だ。でも考える。死んだら何にもならん。悲しむ人が増えるだけだ。大事なのは生きているという事だ。生きてこそ何かが出来るのだと。自分を犠牲にして人を守るならまず先に、全員が生きる道を考えることが生きるための執念てものだろう。

hrkzty1526bwv1068 at 02:29│Comments(0)TrackBack(0)

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